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町の詳しい情報

公開日 2014年11月23日

更新日 2021年03月22日

 

木崎][中町][新所

木崎(タイトル)

 

東追分(ひがしのおいわけ)

 

東追分

【県指定史跡】

東追分は関宿の東の入口にあたり、東海道と伊勢別街道(いせべつかいどう)が分岐していました。 大鳥居は伊勢神宮を遙拝するためのもので、二十年に一度の神宮式年遷宮の際、 内宮宇治橋南詰の鳥居の下附を受け、お木曳をしてたてられたものです。 常夜灯・道標なども残っています。また 、付近には一里塚、見付土居、御馳走場もありました。



中町(タイトル)

 

御馳走場(ごちそうば)

 

御馳走場

御馳走場は、関宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり見送ったりしたところです。 関宿には四カ所の御馳走場がありました。

 

問屋場(といやば)

 

問屋場

宿場に暮らす人々には、旅をする人々や物資の運搬に便宜を図る責任があり、そのひとつとして、 中町は伝馬役(てんまやく)を、新所と木崎は人足役(にんそくやく)をおっていました。

川北本陣跡・鶴屋脇本陣に挟まれた山車倉のある位置は、江戸時代には問屋場があったところです。問屋場は、宿場を通る荷物を運ぶための人馬の継立【つぎたてなどの事務を行ったところです。また、新所地蔵院と木崎鷹匠町の2カ所には、人足会所がありました。人足会所も問屋と同様に、多くの人足・馬方を雇うための事務を行ったところと考えられます。

 

脇本陣(わきほんじん)

 

脇本陣

脇本陣は本陣の補助的役割を担う施設で、本陣と同じように大きな規模を誇りました。 関宿には3軒(時代によって2軒)ありましたが、 諸侯の往来のない時には一般の旅行者も利用できました。 鶴屋脇本陣は、玉屋、会津屋とともに俗謡にも謡われた関を代表する旅籠のひとつでした。 脇本陣の玄関にあたる座敷の前についた千鳥破風(ちどりはふ)がその格式を示しています。

 

本陣(ほんじん)

 

本陣

本陣は参勤交代の大名や、公家、公用の幕臣などが利用した格式の高い宿泊施設です。
関宿では、川北家と伊藤家が代々本陣をつとめていましたが、両家とも広大な敷地に千坪ほどの家屋をもっていました。現在も残るこの建物は、伊藤本陣の店部分にあたります。また、延命寺には川北本陣の門が移築され残っています。

 

高札場(こうさつば)

 

高札場

関宿のほぼ中央にある関郵便局は、江戸時代には高札場があったところです。 高札場は幕府の法度(はっと)や掟書(おきてがき)、宿場の決まりなどを掲示した場所です。
また、宿場の治安を守るため、宿場の各所に番所がおかれていました。



新所(タイトル)

 

西追分(にしのおいわけ)

 

西追分

【県指定史跡】

西追分は関宿の西の入口にあたり、東海道と大和・伊賀街道が分岐していました。大和街道は加太を越え、伊賀上野、奈良に至ります。元禄年間に旅人の道中安全を祈願して建立したという石碑には「南無法蓮華経ひたりハいかやまとみち」と彫られています。また、付近には見付土居、御馳走場もありました。

 

お問い合わせ

市民文化部 文化課 まちなみ文化財グループ
住所:〒519-1192 三重県亀山市関町木崎919番地1
TEL:0595-96-1218
FAX:0595-96-2414