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亀山城多門櫓(建造物)の復原修理について

公開日 2014年12月18日

更新日 2014年12月18日

 三重県指定史跡「亀山城多門櫓」については、平成19年4月に発生しました地震により石垣の一部が崩落しましたが、本年6月に復旧復元工事を完了しましたことから、引き続き多門櫓(建造物)について、復原修理を実施するものです。

 多門櫓は、三重県で唯一の城郭建築物であり、また、城下町亀山を象徴する極めて貴重な文化財であります。

 明治30年、大正6年の改修により現在見られる外観となっていますが、近年は雨漏りが目立つ等、大規模な修理を必要とする時期を迎えていました。

 このことから、平成20年に策定しました「亀山市歴史的風致維持向上計画」に位置づけ、平成21年度には文化財としての調査を行うなど、復原修理の準備を進めてきましたが、この度、文化財を復原修理するに当たっての諸手続きが整いましたことから、国の歴史的環境形成総合支援事業を活用して、工事に着手するものです。

 本工事は、文化財調査に基づき、多門櫓が城の一部として実際に使われていた、江戸時代末期の姿へと復原をするものです。工期は平成24年3月までを予定しており、この間、足場の設置等により多門櫓を見ることができなくなるなど、各方面に影響を与えることになるかと思われますが、城下町亀山のシンボルである亀山城多門櫓の「平成の大修理」が、無事に完了いたしますよう、皆様のご理解ご協力をよろしくお願い申し上げます。

上記内容の印刷用はこちら[PDF:367KB]
【資料】亀山城多門櫓(建造物)の復原修理について[PDF:12MB]

 

<質疑>

質問:総事業費はいくらですか。
回答:7,400万円で、半分を国が負担します。
質問:何回目の修理ですか。
回答:明治30年、大正6年、昭和22年、昭和43年に続き、今回が5回目です。明治30年の修理によって、現在のような板壁の外観が見られるようになりました。
質問:何年に建てられたのですか。
回答:江戸時代末期で、詳細な年代は分かっていません。
質問:今回の修理で外壁が漆喰になりますが、建てられた当時に漆喰であったという記録は残っているのですか。
回答:建物に残っている痕跡の調査によって明らかになりました。
質問:なぜ、今まで外壁が板壁だったのですか。
回答:壁を保護するために後から取り付けたものと考えています。
質問:窓が3つから2つになりますが、3つになったのはいつですか。
回答:昭和43年の修理の時です。
質問:瓦も新しくなるのですか。
回答:現在は桟瓦葺ですが、丸瓦と平瓦を組み合わせた本瓦葺にします。古い瓦は廃棄します。
質問:多門櫓の規模と構造を教えてください。
回答:規模は、東西15.8メートル、南北10.9メートルで、面積は118.80平方メートルです。石垣の高さは、13.5メートル、建物の最高の高さは6.56メートルです。構造は、現在が「木造平屋建て入母屋造り桟瓦葺」で、修理後は「木造平屋建て土蔵造り入母屋造り本瓦葺」になります。
質問:多門櫓は、現在までどんな用途に使われてきたのですか。
回答:江戸時代は武器庫でした。明治の廃城令の後は、木綿段通の授産場、集会場、学校の教室、図書館、柔道の練習場などとして使われてきました。最近は、文化財として随時内部を公開していました。
質問:雨漏りを初めて発見したのはいつごろですか。
回答:平成17年ですが、平成19年4月の地震以降、雨漏りがひどくなり内部養生をしました。
質問:平成19年4月の地震による石垣の復旧は、いつ始めたのですか。
回答:平成22年12月です。
質問:修理が完成した後は、どのように活用されていくのですか。
回答:亀山城多門櫓周辺については、石垣の修復とあわせて、明治天皇行在所の移設なども行い、周辺の環境が歴史的に整備がされてきています。多門櫓だけでなく石垣や行在所なども含めて、近隣を見学をされる方々の拠点となるように活用をしていきたい。また、多門櫓の内部も復原し、工事の経過を示すようなパネル展示等を行う予定です。

 

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政策部 広報秘書課 秘書グループ
住所:〒519-0195 三重県亀山市本丸町577番地
TEL:0595-84-5022
FAX:0595-82-9685

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