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亀山学のススメ(平成28年3月)

公開日 2016年04月27日

更新日 2016年04月27日

この寄稿文は、亀山市総合環境研究センター・朴恵淑編著 「亀山学」平成28年3月出版に掲載されたものです。

オールボー憲章

 2004年の夏、私はデンマークの首都・コペンハーゲンにあるEU環境総局を訪ねる機会を得た。1992年のリオデジャネイロでの国連地球環境サミットでは、「サステイナビリティ」すなわち持続可能な社会づくりの概念が提唱され、21世紀を考える上での重要なキーワードとなる契機となった。以来そのコンセプトをどのように都市政策として具現化すべきかについて、私自身の最大の関心事であった。幸運にもその年、サステイナブル政策の調査研究の一環として、世界の環境政策を先導する欧州委員会のヘッドオフィスへの訪問が実現した。その際、長年の希望が実現した感激の一方でEU自身の苦悩と試行錯誤に衝撃を受けたことが、今も鮮烈に焼きついている。

 その興奮冷めやらぬ足で、北欧ユトランド半島北部の都市・オールボーを訪れた。1994年ここオールボーにおいて、EU欧州委員会と専門家グループは380の自治体と5つのNPOとともに、持続可能な都市の実現を目指すための意思を盛り込んだ「オールボー憲章」を採択・調印した。この出来事が、その後のEUならびに各国、都市と地域レベルでのサステイナブル政策の進化に果たした役割は極めて意義深いと考え、彼の地に向かったのだ。しかし、私の想像力を掻き立ててきたダイナミズムとは異なる、実に穏やかで質実な日々の生活を重視する成熟した市民社会がそこにあり、サステイナビリティの真髄に触れた感がした。当然ながら、「ローカルアジェンダ21」を都市戦略に据えたオールボー市の見識と成果にも感服させられた。

 その頃、我が国の社会経済情勢は「失われた10年」と称される時代を漂っていた。構造的な円高・デフレ経済による国内産業の空洞化という厳しい現実のなかにあり、平成の市町村再編、地方経済・雇用の疲弊、環境・IT・少子高齢化など新たな政策課題への対応に迫られていた。一方のEUは全域で「サステイナブル都市キャンペーン」を展開しネットワークづくりを進めている様子を、日本から羨望の眼で眺めていた。政策の主体を各都市が持ち、EU環境総局が各都市への情報提供などの後方支援により、サステイナビリティに向けて行動しやすい土壌を醸成していた。その出発点とも言われるオールボー市を訪れたことは、以後の私の政策的思考に少なからずの影響を与えている。

「亀山市総合環境研究センター」のあゆみ

 2002年、本市は三重県との連携による乾坤一擲の産業政策を展開し、全国の耳目を集めることとなる。県の産業戦略「クリスタルバレー構想」に基づき、シャープ(株)を核とする市内への液晶関連産業の集積が始まる。この産業政策が産み出したインパクトは圧倒的な重量感とスピード感を持ち、まちと市民生活を一変させるに充分であった。穏やかな城下町に日々生じる激動と混沌の様々な課題に、如何にスピーディに対応するかが強く求められていた。

 シャープ(株)亀山工場が操業した翌年の2005年1月11日、もう一つの大きなインパクトを持つ出来事があった。それは、隣接する旧亀山市と旧関町の合併による新・亀山市の発足である。また、この新市施行と同時に「亀山市総合環境研究センター」が設置された。本センターは時代を先取る有効な環境政策を立案するシンクタンクとして、また市民・企業・学識経験者・行政の連携と協働のもとに地域ニーズに応じた環境諸問題への取り組みを実践するための戦略機関として、当時の田中亮太・初代市長の英断により立ち上げられたものである。統括いただくセンター長には、かねてより両市町の環境審議会会長として環境施策全般にご精通の三重大学人文学部・朴恵淑教授にご就任いただいた。女史の実践的かつ情熱的なご指導を得て、環境・産業分野の調和を視野にいれた政策推進の胎動が始まった。

 さて、この「亀山市総合環境研究センター」の特筆すべき点は、市民の環境教育・生涯学習の拠点として2005年に「かめやま環境市民大学・大学院」を開設したことに尽きる。さらに2011年からはこれを発展させ「亀山市民大学・キラリ」へと至るが、その運営主体としてのノウハウを蓄積するとともに環境先進都市を目指した確かな歩みを刻んできた。この市民大学は、まさに市民が主役であって開設以来延べ3,000名超の方々が受講、この皆さんが環境分野等における地域リーダーとして実践いただくなど大きな成果を収めてきた。「21世紀の都市の生活水準は、そこに居住する市民の環境への理解度によって決定する」という理念をもって、実践的な知識・情報・経験を普及啓発するとともに住民の環境改善行動へとつなげる学びの拠点としての役割を果たしてきた。これもひとえに、市民大学学長としてコーディネートいただいた朴センター長はじめ関係各位のご尽力によるものであり、衷心より敬意と感謝の意を表したい。

 振り返れば、早や12年前のあの企業立地が余りに衝撃的であり、最先端の液晶TV「亀山モデル」が一躍名を馳せることとなったが故、全国的な本市の印象は俗にいう企業城下町のような産業都市のイメージが大々的に形成された。もちろん液晶関連産業の集積以前も、我が国の東西結節点として古くから交通の要衝であることを背景に、多様なものづくり企業が立地する内陸工業都市の性格を持っていた。その特性が格段に強化された訳だが、各種メディアの部分的報道からはそのニュアンスが伝わることは少なかった。本市は、リーマンショック後の熾烈なグローバル競争下にある国内外の企業間・メディア間のすさまじい情報合戦に引きずられ、好むと好まざるとに関わらず、地方中小都市がその空中戦の真っ只中に身を置くという貴重な体験をすることとなった。実際、ある部分だけが切り取られ強調される一部報道とは異なり、地道で多彩な活動が続けられていた。特にシャープ(株)の企業・地域活動は、私どもが目指す持続可能なまちづくりへの多大の貢献をいただいていた。例えば、CSRとして「企業の森」の取り組みが全国で広がっているが、本市では亀山工場がその先頭に立ち市内事業所に呼びかけるとともに市民・各種団体とも協働し、「会故の森」と命名された市有林の環境保全活動を行う事業を早くから進めていた。さらに、企業人が学校へ出向き子供達への環境教育・情報教育を実践いただくなど、その展開は近年厚みを増しており心強く思っている。また、総合環境研究センターが行う「かめやま環境市民大学」開校から現在に至る「亀山市民大学・キラリ」の運営や研究啓発活動に対して力強い協働をいただき、人材養成や持続可能なライフスタイルの実践につながってきている。このように、この10年間のシャープ(株)ならびに関連企業群が地域社会に与えた影響は、単に経済・雇用・市税への貢献のみならず、有形無形の多岐にわたる貢献でもあり、今後においても一層の持続的発展と社会貢献活動が期待されている。

 この産業界との協働は、まちの先駆的な環境政策の基盤となる高い市民風土の醸成へとつながっていると感じている。たとえば、本市は全国に誇る「ごみ埋め立て処分量ゼロ・全量再資源化」の廃棄物溶融処理システムと山元還元を実現しているが、そのことは環境に対する市民風土によるところが大きく、環境政策と産業政策の融合の一例でもある。本市は、高度成長期より半世紀近くをかけ内陸工業都市の性格を強めてきた。都市のキャパシティを超える急激な経済成長が地域の自然環境や人的環境を破壊する力を持つことは、明らかだ。また往々にして、分度を越えた経済的エネルギーが人心を変え社会を変質させてしまうことがある。幸い本市は、この10年余の激動と混沌のなかで試行錯誤をしながら、環境変化にしたたかに適応してきた様な気がしなくもない。課題はあるものの、これらの歩みは「亀山市総合環境研究センター」とオール亀山市民・市役所の英知の結集だと言っても過言でないと思う。

輝く『クオリティ・オブ・ライフ』を求めて

 さて、戦後70年を迎えようとする日本において、文明の発達は現代社会の豊かさの原動力となった。しかし、経済的な豊かさを手に入れた一方で、心の豊かさを見失ってきたことが指摘されて久しい。昨今の刹那的な世相や信じ難き事件等に触れる度、先人から受けついだ文化や情緒性が希薄なことに気づかされる。これらを打ち破るには、あの世界が驚嘆した東日本大震災後の日本人に見る高い精神性などが求められていると感じる。地域に根ざした自然や文化などと調和した日々の生活に価値を見出し、それらを将来の世代へと継承させていくという責任に満ち溢れたまちと人。そのような精神文化を持った『品格ある地域社会』は、サステイナビリティの究極の姿ではないか。

 日本は今や世界一の長寿国であり、社会的・経済的にも世界をリードする国家グループに属している。しかしながら、衣・食・住満ち足りて心の貧困につながり「無縁社会」と称される地域・家族の絆の分断、「格差社会」と言われる心理的ストレスの増大など、必ずしも人々が幸福を実感していない現実に突き当たることも多い。国連の調査によると「この国に生まれてよかった」と思う国のNo.1はスウェーデンであり、日本は最下位に近い方にあると聞いた。この違いは一体どこからくるのか。私たちが真の豊かさを実現するためには今一度、豊かさの意味を問い直すことが求められているように思う。現代の社会構造の本質を見極め、何が重要なのかを見つめ直す必要がある。当然ながら、社会ならびに政治・行政システム自体の改革も必要不可欠となる。

 北欧などヨーロッパの国々と比較して日本が最も違う点について、国の地方財政審議会会長で本市ともご縁のある神野直彦・東京大学名誉教授は、次のように指摘されている。「日本は豊かさを手に入れてもなお豊かさを求め続けたのに対し、彼らはある一定の豊かさを目指した後、豊かさよりもお金で買えない幸福のほうがより重要だという考え方で地域社会を創ってきた」。では、我々は何をすれば良いのか。「答えはシンプルだ。例えば鎮守の森の祭りの時には人々は協力し準備した。日本の生活様式には家族を個室に分けずちゃぶ台に集まってくるような結びつきを重視する文化があった。将来に継承すべきは、祖先から受け継いだ豊かな自然、先人が知恵を絞り築いた人間関係、そこで培われた文化である。すでに各国では物質的に豊かになることでなく、ふれあい協力することが幸福だと気づき始めている」と語られた。これはまったく共感できるものだ。

 私どもは2010年春、市民と職員の徹底した議論を重ね、「情報共有の原則」「協働の原則」など本市のまちづくりに関する9つの基本原則を定めた「亀山市まちづくり基本条例」を制定した。その1つとして「持続可能性の原則」を高らかに掲げた。全国の都市自治体が制定したまちづくり基本条例は数多あろうが、持続可能性の原則が明記されたものは珍しいと外聞する。『サステイナビリティ/持続可能性』は、本市のまちづくりや行政経営における最も重要なキーワードであり、「品格ある地域社会」への切符だと考えている。同時に求められているものは、愛着と幸福実感の向上へとつながるQOL(Quality of Life/クオリティ・オブ・ライフ)だとも考える。

 我が愛するまち亀山は、鈴鹿山系や鈴鹿川に代表される豊かな自然環境に恵まれ、歴史が織りなした佇まいを残す城下町・宿場町としての顔がある。市内に東海道53次の3つの宿場を有し、なかでも東海道で唯一国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている「関宿」は、今なお往時の面影を偲ぶことができる。また、近年は新名神高速道路の開通による交通拠点性の高まりとあわせ、特色のある環境・文化・教育のプログラムと三重県下を先導する健康都市戦略を推進している。さらに、人と人が支えあう地域コミュニティも健在である。これら、まちを形づくる多彩な要素が上手く結びついた高い結晶性により、輝く『クオリティ・オブ・ライフ』を実現したいと考える。これにより、50,000市民の「愛着と誇り」そして「幸福実感」が向上し、そのことがまた市民の自発的な参画と協働への厚みとなって、持続可能な地域社会の好循環へとつながることを期待している。

 このような考え方を踏まえ、本市は2010年7月、WHO(世界保健機関)が提唱する健康都市と健康寿命の考え方に賛同、世界基準をめざす「健康都市連合」に加盟した。さらに2013年6月には、東京都荒川区・西川太一郎区長の設立呼びかけに賛同し「住民の幸福実感向上を目指す基礎自治体連合(通称/幸せリーグ)」に加盟した。いずれの都市連合も「社会と生活の質・QOL」を高め、それを可能とする社会システムの実現という方向性を共有しており、同様の志を持つ全国の都市自治体との切磋琢磨を通じて本市のQOLを追求してゆきたいと考えるものである。

市民の地域愛と都市政策

 亀山市は、健康医療分野における独自の戦略を有している。WHO西太平洋地域事務局の呼びかけにより2003年に創設された健康都市連合は、生活の質の向上を志向する都市間ネットワークによる国際的な協働を通じ、健康都市の発展に向けた知識・技術を開発することを連合憲章に掲げている。本市は2010年10月、全国で14番目の都市として加盟が認証された。現在、10ケ国152都市45団体が加盟(2013.7現在)、日本からは28都市6団体が加盟している。私どもは、健康を重視する都市政策を立案し健康を支える環境を整えるべくコミュニティの強化と個人の能力開発を促進させて、より高い健康水準とQOLを達成しようとする健康都市戦略を追いかけている。2011年5月、本市と三重大学との地域医療に関する寄附講座「亀山地域医療学講座」設置の協定締結は、その延長線上にある政策判断である。

 一方、都市と生活の質を決定づける要素は前述の健康や環境など多岐にわたるが、そのなかでも最も重要な要素の一つが「文化」ではないかと考える。文化の力が私たちの心に感動と創造の喜びや安らぎを与え、豊かな人間性を育む源泉であることは論をまたない。とりわけ、伝統的な歴史や行事、個性的な景観や風致、魅力的な生活習慣や産業技術などはそれ自体が価値を持つだけでなく、まちのアイデンティティ(独自性・同一性)を形成し市民の愛着と誇りを育み、まちづくりの原動力になることに疑う余地はない。本市は今春、「かめやま文化年2014」と命名したアクション・イヤーを設けた。2011年に策定した「亀山市文化振興ビジョン」に掲げた「文化の見える化」プロジェクトの一つだが、今後3年毎に年間キャンペーンとして《みつめる・つながる・かがやく》を基本テーマに、文化芸術に関する各分野の事業を包括的・継続的に展開することで、文化の好循環を生み出し「キラリ輝く」結晶性の向上を目指している。

 この「健康都市」「文化都市」という2つの都市戦略は、前述の「環境先進都市」を目指す政策と調和し、『都市と生活の質・QOL』を高める役目を果たすと確信している。さらに、本市のまちづくりの特徴として、行政レベルにおける環境政策をはじめ産業政策・交通政策・文化政策・コミュニティ政策など他の政策領域と密接に関連する基本政策・施策のもと、市行政各部局に横串をさす総合行政を展開している。「ローマは一日にして成らず」の諺どおり一進一退の連続ではあるが、役所のタテ割りという仕組みや体質が抜本的に転換されなければ、循環系を持つ持続可能な地域社会は創れないとの基本認識がある。私どもは、その古くて新しいテーマであるタテ割り行政に終止符を打ち、QOLを高めるための統合された政策や行政システムの実現にこだわって行政の質を進化させたいと決意する。行政のタテ割りによる部分最適ではなく、地域社会としての全体最適を目指さなければならない。それ故に、各政策が統合され包括的な都市政策を推進・制御できうる行政経営を志向する必要がある。

 本市まちづくりのもうひとつの特徴は、自助・共助を支える「市民力による高い地域力」に尽きる。そして、これこそが最大の強みでないだろうか。50,000市民が自分たちのまちに愛着と誇りを抱くことができれば、まちが直面する課題の解決のために、また地域社会の未来をよりよくすることのために、自発的な取り組みが始まる。他人事でも評論家でもなく自らの問題として積極的に関わり、行動を積み重ねることが可能となる。本市はリーマンショック後の急変する厳しい財政事情のなかで、大型事業の見直し等の行財政改革を断行しなければならなかった。財政的制約があるなかで行政と市民が責任を共有するためには、市行政への信頼が不可欠である。そのために、本市は情報公開と情報共有のための制度整備を進めるとともに様々な事業において市民や地域団体等の参画・協働による「開かれた市政」を推進した。

 「地方自治は民主主義の学校である」とは、かのJ・プライスの名言ながら、正直私自身その困難さや逆にその尊さを自問自答する日々でもある。地域社会を構成する異なる立場の市民が、その利害や対立を乗り越え相互理解と協働により地域の課題解決を積み重ねることこそ、尊いものだと考える。また、中央集権から地方分権への転換期を迎えて、行財政改革などの「団体自治」の強化のみならず、行政が自律の意思を市民と共有し試行錯誤と信頼を重ねることを通じて「住民自治」を一層高めることに挑戦しなければならない。そのためには、前述の市民大学の歩みもその線上にある訳だが、市民の地域愛の源となる「愛着と誇り」「幸福実感」がより高まり、まちづくりへの参画・協働が一層活性化する好循環のしくみが必要だと思う。

むすびに ~亀山学のススメ~

 本市は、新市合併から10年の節目を間もなく迎えようとしている。私たちは、この10年余の激動期を全力で駆け抜けてきた。同時期をともに歩んだ「亀山市総合環境研究センター」が果たした役割は、極めて意義深い。それは、「都市が持続的に成長し、市民のQOLを実現するために何が必要なのか」という問い答えを探すプロセスであり、そこから地域社会のバックボーンとなる地域学の創設へとつながったことにある。またそれは机上の学術的理論でなく、市民や地域や企業や行政の実践的な改善行動を促す「産学官民連携」の軌跡でもある。この地域学は小さな都市の小さな一歩にすぎないかも知れないが、全国有数の環境変化を経験した自治体だからこその『亀山学』は、今後も愚直に実践され磨かれ続けることで、大きな成果につなげることが可能となるのではないか。

 かつてこのまちに、県の女子師範学校が置かれた(1904年)。戦後、学制改革により新制三重大学が発足し学芸学部(現・教育学部)へ引き継がれた後、本市に三重大学付属小・中学校が置かれ廃止される(1963年)までの約60年間、本市は、内外より『教育の町』と称された時代があった。半世紀以上の時を経て今なお、「次世代を育むことに対する使命感が、市民一人ひとりの遺伝子に組み込まれているのではないか」と感じる場面に出会うことがある。私たちは、この誇るべき精神文化を有するまちを学校として、市民とともに学び真の地方自治を育んでゆく、そして「自らのまちは自らで創る」その精神と行動を将来世代へと継承したいと強く願うものである。その道は遠く厳しいけれど、必ずや『小さくともキラリと輝くまち』へとつながる道であることを確信してやまない。

 最後に、亀山市総合環境研究センター10年のアーカイブとなる本書の出版にあたり、快くその労をお取りいただいた朴恵淑センター長に深甚なる感謝の意を表する。朴センター長には三重大学副学長としての要職にあるにも関わらす、環境審議会はじめ本市の重要な政策決定に際し多大のご協力をいただいていることに対しても重ねて御礼申し上げる次第である。またこの機会に、センター設立から昨年ご退任されるまでの間、朴センター長と二人三脚で市民大学を育てていただいた前副センター長の上野達彦・放送大学三重生涯学習センター所長のご尽力にも感謝の気持ちを伝えたい。さらに今日までの市民大学等において各趣講義をいただいた諸先生方、また日頃、市政各般にわたり格別のお力添えをいただく内田淳正学長ならびに地域医療学講座の医学部総合診療科科長・竹村洋典教授をはじめとする三重大学の関係各位に感謝を申し上げる。そして、センターの運営に対する市民・企業の協働と歴代センタースタッフの全ての皆さんの奮闘に、衷心より敬意を表する。

 亀山市は今10年の準備期間を経て、新たな船出の時を迎えた。『亀山学』はその確かな羅針盤となる。すべては未来のために!