
- ■ 内容
- ★★9月の答え★★
「広報かめやま/お知らせ版(9月16日号)」の発行にあわせて問題の答えを掲載しました。
クイズを楽しみたい人は、画面をゆっくりスクロールしてください。
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今年は、「日本書紀」の編さんから1300年の節目にあたります。
亀山市には、「日本書紀」に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)や弟橘媛(おとたちばなひめ)にまつわる逸話や言い伝えが多く残っています。
毎月発行している「広報かめやま」の誌面にて、日本武尊に関するクイズを掲載します。
[2020年6月~11月まで。1日号に出題、16日号に答えを掲載。(「日本書紀」による)]
「名前は聞いたことあるけど、よく知らないな…」という人にオススメです。
少しずつ、日本武尊と弟橘媛について学んでいきましょう!
★★9月の問題★★
日本武尊が蝦夷(えみし)との戦いに向かう途中、相模国(さがみのくに)(神奈川県)から上総国(かずさのくに)(千葉県)へ船で渡るときに海(浦賀水道)が荒れたといわれています。
このとき、海を渡れるよう助けてくれたのは誰といわれているでしょう?
【1】宮簀媛(みやずひめ)
【2】両道入姫皇女(ふたじのいりびめのひめみこ)
【3】吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)
【4】弟橘媛(おとたちばなひめ)
答え
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【4】弟橘媛
日本武尊が相模国(神奈川県)から上総国(千葉県)へ渡ろうと海を見たとき、「こんな小さな海なら、飛び上がって渡れそうだ」と軽口を言ってしまったため、海の神が怒り、海は大荒れになってしまいました。そこで、一緒にいた弟橘媛が海へ飛び込んで嵐を治めてくれたと記されています。
なお、弟橘媛は、野村の忍山神社が生誕の地と伝えられています。
★次回のクイズもお楽しみに! - ■ 関連リンク