亀山市市勢要覧
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加太不動滝伊賀市南在家IC25❿鹿か伏ぶ兎と城じょう跡あと (県指定史跡)関5家のひとつ鹿伏兎氏の居城跡。山頂付近には土塁や石垣などが残っています。❼正しょう法ぼう寺じ山さんそうあと荘跡 (国指定史跡)鎌倉時代~戦国時代にこの地域一円を治めた豪族関氏の砦をかねた山荘跡です。有名な連歌師宗長などもここを訪れ、歌会を開いていたようです。❽地蔵院本堂・鐘しょう楼ろう・愛あい染ぜん堂どう(国指定重要文化財)741年に、行基菩薩が国中に流行した天然痘から人々を救うために創建したといわれています。❾東の追分(県指定史跡)東海道と伊勢別街道の分岐点。大鳥居は、20年に一度の神宮式年遷宮の際に、内宮宇治橋鳥居のご用材を譲り受け、建て替えられています。文学で巡る亀山 1826年に長崎オランダ商館医師シーボルトが江戸へ向かう途中、坂下でオオサンショウウオを手に入れ、オランダへ持ち帰りました。そして、そのオオサンショウウオとされる図版がシーボルトが著作した『日本動物誌』に掲載されています。シーボルトと坂下(オオサンショウウオ)1 小説家の志賀直哉は、1921年から17年の歳月をかけて長編小説『暗夜行路』を執筆しました。この小説は志賀直哉自身をモデルにしており、その中に母の生まれ故郷である亀山を訪れ、亀山駅から亀山城跡などを巡った様子が描かれています。志賀直哉と亀山城周辺2 大正・昭和期に活躍した推理作家の江戸川乱歩は、父の仕事の都合で、幼い時の数年間、南崎町と市ケ坂町に住んでいました。また、初期の代表作『屋根裏の散歩者』は、関町坂下の岩屋観音で重い病気にかかった父の看病をしながら完成させたといわれています。江戸川乱歩と岩屋観音3(平井憲太郎氏 提供) 近代文学の代表的作家である坂口安吾が1947年に発表した短編小説『桜の森の満開の下』は、鈴鹿峠を舞台としています。1975年には、本作を原作とした映画が公開されました。坂口安吾と鈴鹿峠4(新潟市「安吾 風の館」 提供) 1941年から終戦まで、能褒野町周辺に、陸軍の飛行機操縦士を育成する飛行学校がありました。その飛行学校は、滑走路や飛行機の格納庫なども備えていました。2007年出版の『知覧からの手紙』(著者:水口文乃)には、この北伊勢飛行場が物語の舞台として登場します。水口文乃と北伊勢飛行場跡520

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