現在の町並みの基本構造は、天正年間(1573〜92)に関盛信が付近の道路を改修し、 新所と木崎の間に町(中町)をとり立ててできたものと考えられています。 この中町の町立てにより町並みは東にのび、現在のような規模になったのです。
慶長6年(1601)の徳川家康の宿駅制度化により、関宿も東海道の正式な宿駅として整備され、 伊勢別街道及び大和街道との分岐点という立地条件により繁栄していきました。
天保14年(1843)の「東海道宿村大概帳」によると、家数632戸、人口1,942人、 本陣2、脇本陣2、旅籠屋42となっており、東海道屈指の宿場であったことを物語っています。
宿場には多くの人々が密集して生活していたため、ひとたび火事となると大火となって大きな被害をだしました。町にはこうした大火に備え、防火のための施設も設けられていました。宿場の各所にあった「火除松林」「土居」などは、防火帯として設けられたものです。また、「水溜」は用水池や防火用水として設けられたものと考えられます。
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