亀山市市勢要覧
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567古代から現代に至るまで、日本の文化や経済の発展に大きな影響をもたらした東海道。東海道五十三次の46 番目の宿場町・亀山宿は、亀山城の城下町として栄えた場所で、街道沿いには、県内の東海道で唯一原形をとどめる野村一里塚が残されています。東の追分から西の追分まで、約1.8km の街道沿いに町家が軒を連ねた47番目の宿場町・関宿は、旧東海道で唯一歴史的な町並みが残ることから、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。また、東の箱根峠と比べられるほど東海道の旅の難所であった鈴鹿峠を越える旅人たちで賑わいをみせた48 番目の宿場町・坂下宿には、峠越えの際に唄ったとされる正調鈴鹿馬子唄が受け継がれています。このように亀山市内を通った東海道の道筋には、今もそれぞれに宿場町の面影を残しているのです。 亀山は東西を結ぶ地であったことから、さまざまな歴史に登場します。古事記や日本書紀には、英雄伝説の主人公として登場する日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東国から大和国へ帰る途中に病となり、「ノボノ」で亡くなったといわれています。 田村町にあるる能褒野王塚古墳は、4世紀末の築造と考えられる前方後円墳で、明治12年に国により「日本武尊能褒野墓」と定められ、現在も宮内庁により管理されています。4古代の歴史が息づく亀山 日やまとたけるのみこと本武尊能の褒ぼ野の墓ぼ20音声を聞くKameyama Story

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